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NEWS LETTER

2024.08.20 NEWS LETTER

Topic54:『世界の相続税』- ”光源氏”の相続事情 –


(出展:写真で見る日本の歴史 | 宇治十帖(pict-history.com)

後述します

前回は、米国「FLP事業体の概要(LLC・信託との違い、設定要件)」の第1回目をお伝えしました。次回に第2回目をお送りいたします。

★★★~平安時代の相続~
『光源氏』を通して ☆彡

みなさま、今年のお盆はいかがすごされましたでしょうか。
長女である筆者は、1月に他界した母の新盆という儀式を、白い提灯を用意して行いました。

さて、今回は少しばかり日本の古典に戻ってみたいと思います。
このお盆という儀式は日本では平安時代の606年頃に、推古天皇が僧や尼を招いて先祖供養を行ったのが起源といわれていて、庶民に広がったのはそのだいぶん後のことです。

そんな“平安時代”の相続は、“平成時代”の今とどのように違っているのだろうか・・。
お盆休みに、紫式部が著した源氏物語の『光源氏』に思いを馳せてみました。

★いったい『光源氏』はどんなお方だったのでしょう。
実は、容姿端麗の美しい男性だったようで、その上、学問や舞楽も知的センスも兼ね備えていた為に、かなりモテモテだったのですね。
~超イケメン貴族だった^^~

自分の意のままに女性とつきあうことができていましたが、楽しいだけではなく苦悩も多くつらい別れもあり、そのたびに心から悲しみ涙も流したのです。

★その彼が、実際に婚姻関係を持った女性
“葵の上”“女三の宮”の2名だけで、その他に実質妻といわれる“紫の上”、ほかに多数の側室や女君との関係がありました。

光源氏と関係があった女君は、前述の妻3名の他に藤壺、空蟬、軒端荻、六条御息所、夕顔、末摘花、朧月夜、源典侍、花散里、明石の君の10人と、筑紫の五節はかつて関係があった1人、
さらに中将の君、中納言の君、中務の3人の侍女を含めると・・、計17人(?)だけであり、思ったより意外に少ないかも(?)。。(笑)
(※ このような家族関係は平安時代では公認である)

★女君たちの生涯・・
ひとまず先に、代表的な女君たちの生涯サマリーは次のような感じです。
*最初の正妻である“葵の上”は、婚姻10年越しにようやく授かった子の産前後、愛人の六条御息所の生霊かもののけに憑依されて、26歳の若さで亡くなってしまいます。
*夕顔も六条御息所の生霊に憑依されて息絶えます。
*六条御息所は実らぬ恋を断ち切るために出家し早く亡くなり、*朧月夜の君は光源氏との関係が父にバレて位をはずされてしまいます。
*明石の君は身分が低かったのですが宮中にあがり大出世をとげています。
*そして一番忍耐強かったといわれる“紫の上”は義母に似ているという理由で、10歳の時に光源氏に誘拐され、42歳頃に亡くなるまで、正式な婚姻関係は成立しないまま、光源氏が外で産んだ子をそだてて生涯を終えています。

*しかし、いとこの朝顔だけは光源氏に好意を寄せていましたし、光源治からもずっと求愛され続けましたがそれを受け入れない芯の強さがあり、生涯友達を堅持した女性でした。

★光源氏の子
実子は3人ですが1人は信じがたくも義理の母との子、そして先妻 ”葵の上“の子、そして、流刑の地で知り合った愛人”明石の君“の子です。
さらに2回目の妻“女三の”の子は驚くことに他の男性との子であり源氏の血は継いでいません、しかし引き取って実質妻の紫の上が育てたのです。
他にも六条御息所がなくなった後にその娘も養女として引き取り遺言通り育てるのです。
つまり。。子は嫡出子と非嫡出子で計5人でしょうか。

・・・こうしてみると、どこまでが相続人かさっぱりわからなくなります。
今度相続関係図を作ってみようかと・・。(笑)

***** ***** *****
★さて、平安時代の結婚制度
現代とは異なる独特の形態を持っていました。
一夫多妻制、一夫一妻多妾(たしょう)制などの諸説があり、家族や社会の構造、政治的な要素が強く反映されていました。

結婚は、同居するのではなく 通い婚(妻問婚)と言って、男性が女性の家に通うのが一般的でした。
夫は結婚後も実家に住み、妻の家に通い続けました。
女性は基本的に実家に住み続け、結婚生活もそこで営まれたわけです。
~遠く離れていても心はつながっている!~
言うなれば、平安時代は『遠距離恋愛の延長婚』な訳ですね^^

★相続制度について
また、母系社会であり男性は母親の地位を通じて政治的な影響力を持つことが多かったのです。
相続も、母系相続と言って母系社会の要素が強いため、母方の親族を通じて財産や地位が相続されることが多く、母系を重視する相続形態が一般的だったんです。

平安時代には、現代のような「相続税」はありませんが、相続に関わる財産や土地に対して、公領には租税が課されましたが、貴族の荘園は私有地として租税が免除されることも多かったのですが、これを認めてもらうために中央政府への寄進が必要で、これが事実上の「税コスト」。

ほかに贈与や相続においては、財産を朝廷や天皇に対する寄進を行うことや、家の安泰や家族の冥福を祈るために寺院や神社に寄進を行うことが常で、これらは現代の相続税に似た効果を持っていて貴族にとっては避けられない費用だったのです。

*** *** *** ***
☆彡 さて、さすがのプレイボーイ光源氏も、朧月夜の君との関係が発覚したときは流刑に処せられています。
また、妻や恋人に先立たれ悲しみに暮れることも。。。
人の痛みを知っている光源氏は、愛した女性を一方的に捨てる場面は少なく、後世は恋人関係解消後も何らかの関係を保ち、親族を含み世話をみる優しさもあったようです。
光源氏は長生きをして53歳頃に没したといわれています。

平安時代の『源氏物語』には様々なカラーの女君たちが登場しますが、女君たちは光源氏とは対照的に、多くは早く亡くなるか、悲恋で出家しています。

☆彡みなさまは、  平安時代のどの女君たちの生涯や相続事情に賛同されるでしょうか。。

(参照:源氏物語の女君たちnhkより)

 

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